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NAGARE INFO & YAMAGOYA MAP

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Solaria 2017

飾り山(表)

標題

邂逅洛中五条大橋段

(Kaikou rakuchu gojo oohashi no dan)

「桶狭間の戦い」は後に天下統一を果たす戦国大名織田信長の一大転機になった合戦で、頼山陽の『日本外史』によれば日本三大奇襲の一つに挙げられる、江戸時代以来、もっとも人気のある戦記物語のひとつです。
信長の右筆により慶長五(1600)年頃に成立したとされる『信長公記』によれば、永禄三年(1560)五月、駿河を治める大名今川義元は二万五千の軍勢を整え、上洛を果たすため領国を出て西へと三河、尾張に進軍。
それを迎え撃った織田軍の数約二千とされています。
進軍する今川軍が疲労していると見るや、尾張清洲城にいた信長は「敦盛」をひとさし舞い、少ない手勢で豪雨の中を馬で早駆けし、今川本陣を急襲しました。黒煙を立てて打ちかかる信長勢を見た今川軍は義元の塗の輿を捨てて敗走します。手勢の少なくなった義元は切り込んできた織田軍の武将服部小平太に一太刀浴びせましたが最後、毛利新介によって切り伏せられ、ついに首級を挙げられ、時代を大きく変える勝敗が桶狭間で決しました。

[人形師:Masahiro Okiayu]

飾り山(見送り)

標題

京洛絢爛醍醐の花見

(Kyouraku kenran daigo no hanami)

古代の北部九州は外交・防衛上・内政上、また国家の成立を語る上で重要な地域でありました。
約1350年前の飛鳥時代、大和政権によって日本の国が形づくられた頃、朝鮮半島では高句麗、新羅、百済の三国の争いが繰り広げられていました。
百済が唐(今の中国)・新羅の軍に攻められた時、百済と親交があった大和朝廷は女帝の斉明天皇が指揮して、この筑紫の地に遷都をおこない、那の津(今の博多湾)唐大規模な援軍を送り出しますが、西暦663年の白村江の戦いで大敗を喫します。
強大な唐・新羅連合軍を目の当たりにした大和朝廷は本国への襲来を恐れ、斉明天皇の意志を継いだ中大兄皇子(後の天智天皇)は百済から亡命渡来した憶礼福留や四比福夫らの知識や技術を得て、長崎県対馬から瀬戸内海を経て奈良にいたる西日本一帯に山城を築きました。そのひとつである大野城と基肄城は日本最古の山城とされ、『日本書紀』の記事によれば今年で築造1350年を迎えます。
この後、筑紫には九州を治める職として「筑紫大宰」が置かれ、大宝律令が成立して以降の奈良時代には「大宰府」が成立し、軍事・外交の窓口としての役割を果たすようになりました。
この筑紫の地において行われた水城・大野城・基肄城の築造という巨大プロジェクトが成った後、「倭」と呼ばれていた我が国は国号を「日本」と称すようになり、このプロジェクトは我が国における国作りのひとつの原点と位置付けられています。

[人形師:Shinji Kojima]

山小屋の場所

歴代の飾り山

  • soraria_01_01 2017年

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